【闇納豆】


「どこだ、紅蘭!」

カンナの荒々しい声がロビーに響く。
片手には箸、もう片手には納豆の入った小鉢、さらに肩にはロープを背負っていた。

(無理なものは無理やねん…)

その後ろを紅蘭が前かがみにこそこそと移動していった。
ところが、

「あ」

ガタァ!
階段を下りるとき、靴の先を柱に当ててしまい、その衝撃で靴が脱げてしまった。
そのまま赤い靴は一階にまっさかさまに転がっていく。
そして、その靴を拾い上げたのは紅蘭ではなく、カンナだった。

「なんだ、そこにいたのか…さ、覚悟を決めてもらうぜ!」

「あわわ…お手柔らかに、カンナはん…」


一方。
一階の食堂では大神と加山が差し向かいで少し遅めの朝食をとっていた。
これはかなり珍しいことだった。
深夜はともかくとして朝になると、加山はろくに挨拶もせずに大神の部屋を出て行くのが常だったからだ。
今日はたまたま、任務の着任が昼からでいいらしい。
口に出しては言わなかったが、大神はこの時間を喜んでいた。
ちなみに加山は口に出して喜んでいた。

「大神と一緒に食べる食事は美味いなあ」

「そうか」


冷蔵庫から大神は小さめのパックを取り出すと、とろりと中身を鉢に移していき、それを箸で手早くかき混ぜていく。

「…」

ねちょねちょねちょねちょねちょ…。

「…何をしているんだ?」

自分の頬についた御飯粒を指でとっていた加山が眉を寄せながら質問してきた。
それに、大神は不思議そうな表情を浮かべながら言葉を返す。

「?…おまえが是非に、というから一緒に朝御飯を食べているんだろう?」

「…俺が聞いてるのはお前が小鉢に箸を突き立てて何をしているのか、ということだ」

大神の的を得ない答えに、加山は箸を持っている方の手で大神の小鉢を指した。

「見たらわかるだろう?納豆をかきまぜてるんだ…なんだ、もう惚けたのか?」

それに、大神は一瞬納得したような顔をしたが、それでも不思議そうな表情で

「おまえも食べるか?」

と、小鉢の中身を加山の方に向けようとしたのだが、

「見、見せるな!」

と何故か、両手を振り回して拒否された。

「?」

「くわばら、くわばら…」

それどころか、やれ打つなと拝むように両手をこすり合わせてさえいる。
そんな加山のあまりのオーバーリアクション、これには、流石の大神も理由を察した。

「加山、おまえ納豆食べられないのか?茶碗蒸しだけじゃなかったんだな」

加山は常々から「俺の苦手なものは茶碗蒸しとパズルだ」と公言していた。
それ以外では、加山の好き嫌いなどは大神は特には知らなかった。

「そ、それは違うぞ大神…。茶碗蒸しは一応は食べ物だが、なっ…それは決して食べ物なんかじゃない!」

「失礼な奴だな…」

納豆を作っている農家の人たちにはとてもじゃないが聞かせられない。
ふうっと溜め息をつくと、箸に納豆をからめて口に運ぶ。

「…こんなに美味しいのに」

「く、食うな!」

「おまえが嫌いなのは仕方ないにしても、俺がそれに付き合う必要はないだろう?」

大神は気にせずに更に一口、二口と食べていくが、加山の顔はそれに比例して真っ青になっていった。
ぶるぶると震えながら大声を上げる加山。

「いいや、ある!俺とお前は、いわゆる夫婦関係、つまりは一心同体も同然じゃないか〜?
お前がなっと…腐った豆を食っただけでほらみろ、さぶいぼが…」


さぶいぼ、とは鳥肌のことである。
加山が関西の方言を使うのは珍しい、と大神は思った。
加山は和歌山、関西の出身なのだから、もう少し関西弁などが出てもおかしくないと思うのだが、
士官学校入学当時から、よっぽど興奮したときは別として加山の言葉使いはほとんど変わっていなかった。

そして、帝劇で再会後には一回も聞いたことはなかった。
それが久しぶりに加山の口から飛び出した…何か納豆が関係しているのかもしれない。

「…前提条件が間違っているだろうが」

大神の呆れ声での突っ込みも加山には届かなかった。
さらにテンションが上がってきたのか、加山は妙に真剣な顔でこんなことを言い出す。
じぃっと瞳を覗き込んできた。

「それに、お前とキスしたら…なっ…腐った豆なんかの味がするなんて俺は絶対にごめんだ!」

「じゃあ、しなきゃいいだろう」

「そんなあっさり言うなよ…って言ってる傍から食うなぁ〜」

ついには椅子から立ち上がってしまった。


そんな加山に、大神は何かを思い出したような顔つきになり、
さらに不服そうな表情を見せると小声で喋り始めた。

「…俺だって我慢してるんだ」

ぶすりとした顔のまま俯いてしまう。
流石に、そんな珍しい大神には加山の勢いも衰えざるを得ない。

「ん?」

「煙草だよ…おまえと、その、したとき…ひどく煙草臭くて時々吐きそうになる」

早口で照れたように言って、そのまま黙ってしまう。
照れ屋の大神にはこれだけのことを言うのがひどく恥ずかしかったらしい。
しかし、加山はこのときの大神の表情よりもその言葉が気になったようだ。

「お前だって吸うだろ」

「…俺は嗜む程度だ。おまえのように服に臭いが染み付くまでは吸わない」

これは確かにそうだ。
もっとも、加山でもいわゆるヘビースモーカーというほどではないのだが。


「あのな、煙草はスパイにつきものなんだ。絵になるだろう?
第一、…の臭いと煙草の匂いだったら、全然煙草の方がましじゃないか〜」


バシッとテーブルを叩くと、

「それは、おまえの勝手な考え方だ。俺なら納豆の方がいい…
もともと煙草より納豆の方がずっと体に良いものじゃないか…ん?
勝手に話を進めるな!俺がおまえとキスしたとき、いつ納豆の臭いをさせてたんだ!」

それにつられたのか、大神も椅子から立ち上がり、バシッと更に強くテーブルを叩き返す。
恥じらいとかいったものはどこかへ行ってしまったらしい。

「今したらするだろう」

「御飯を食べている時にキスなんかする方が悪い。…大体、おまえちゃんと納豆を口にしたことあるのか?」

「…食べ物じゃないものを食ってたまるか」

「ほらな。おまえのは只の食わず嫌いなんだ。一度ものの試しに食べてみろよ」

加山の鼻先に大神は小鉢を近づけるが、反射的に加山は体を仰け反らせてしまう。

「駄目だ!ち、近づけるな…いいか、大神…これだけは言うまいと思っていたが…
関西には関西のしきたりがあるんだ…関東人のお前にはわからないだろうが、
関西では腐った豆を食べてしまった人間は通称『闇納豆』って呼ばれてな…」


「…追放されるんだろう?」


「…」

「…」

…加山は本気で驚いたらしく、ぶるぶると震えだした。

「ど、どこでこのトップシークレットを!!」

「紅蘭に妙なことを吹き込んだのはおまえか…」

(まったく世話が焼ける…)

以前、紅蘭も今の加山と似たようなことを言って、納豆を食べさせようとするカンナから逃げ出していた。
あれから、カンナは紅蘭に納豆を食べさせることに燃えているらしい。
元々、カンナは好き嫌いがないためか、納豆も好物の一つだった。

「…」

しゅんとうなだれてしまった加山は大神の顔を見ようともしない。
そのため、ついつい大神の声も今までとは違い優しいものになった。
…後から考えればこれが間違いの元だったのだ。

「どうしても無理なのか?…加山?」

「…大神が」

ようやく加山がこちらを見上げてきた。

「俺が?」

「大神が俺に食べさせてくれるなら」

「…」

「それなら、大丈夫じゃないかなぁ〜っ…て思うんですけど」

自分の言葉に自信が無いのか、最後の方は消え入るような声色だった。
そんな加山の態度がおかしかったのか、大神は少し笑うと「仕方ないな」と呟いた。
これが、いつも通りに自信たっぷりな言い方だったとしたら、大神はにべもなく断っていたのではないだろうか。
それを気付いてやったのかどうか。
とにもかくにも、加山という男は運がいい。

「…一回だけだぞ」

「わかってるって」

重ねて言う大神に、にんまりと笑う加山。
臭いを感じないように、と鼻をつまんでいる加山の口に大神が納豆をほんの少し絡めた箸を近づけたが、

「駄目だ」

「え?」

「ちゃんと、あーん、って言ってくれ…」

と、押しとどめられた。
相変わらず、妙なところにこだわりを持っている男だ。
大神は再び溜め息をこぼしたが、もう後戻りも出来ないのだろう、消え入るような声で

「…あーん」

と言うと、先ほどと比べてやや乱暴に箸を加山の口に突き入れた。

「ん…ぐ…」

口を押さえながら、加山は必死で納豆を飲み込んでいる。
大神が食べさせたとはいえ、それでもやはり苦手なのには変わりないようだったが、
加山は水の入ったコップを取るとぐっと一息でそれを飲み干し、納豆を水ごと流し込んでしまった。

「ど、どうだ、大神〜」

「えらい、えらい…」

まだ胸を押さえている加山のことは放っておいて、大神は窓から青空を眺めていた。
太陽が天辺に近づいており、既に昼食の時間が近いことを教えてくれていた。

「はぁ…俺、何やってるんだろう…」


そして、厨房からそんな2人を覗くこちらも2人の影があった。

「なるほどな、ああしたら食えるんだな…」

「ひどいわ、加山はん…うち、あんさんのことは同じ関西のお仲間やって思っとったのに…」

カンナと紅蘭だ。
…何故か紅蘭は後ろ手に縛られており、そのロープをカンナが握っていた。
どうやらあれからも、何回か紅蘭は逃げ出そうとしたらしい。

「どうだ?紅蘭も隊長に食べさせてもらったら、意外と食えるんじゃねぇか?」

いいことを思いついたとばかりに、カンナが紅蘭に水を向ければ、その途端に紅蘭は顔を真っ赤に染めたが、

「うち、加山はんみたいに単純ちゃいますもん」

「ま、そうだな」

とくすくす笑いのまま冷たく言い放ち、カンナもあっさりとそれに同意した。
少し加山もかわいそうと言えるかもしれない。

「でも、加山はんずるいわぁ…」

「確かに…あ」

何かに気付いたカンナが振り返ると、そこには花組の乙女たちが少し冷たい笑顔で立っていた。


この日の夜、いつものように天井裏から大神の窓を叩こうとした加山の頭上を、
仕掛けてあったのだろう何キロもの納豆が直撃した。

このときの加山の悲鳴は降魔もかくやといったひどいものだったらしい。
こうして、「煙草の匂いのするスパイ」ではなく、「納豆の臭いのするスパイ」が誕生した。


「大神〜」

「な、納豆臭い…」

「ん〜煙草より納豆の方がいいんだろぉ〜」

「や、やけになってないか、加山!やめろ、近づくなぁ!」


ただ、この一件がトラウマになったのか、加山は以前よりさらに納豆を毛嫌いするようになったらしい。



くりぞお様から寒中見舞いに頂きましたv
加山が!加山がむちゃくちゃ可愛いですよ〜vv
ううう、つられてむきになっちゃってる大神さんも可愛い…v

恐ろしい花組メンバーの中で比較的さらっとしてる
紅蘭とカンナさんも好きです〜v紅蘭可愛いなぁvv

私も納豆は食べられないですね〜。
関西人にとって「納豆が食べられない」と言うのは
すでにネタのひとつなのかも…(笑)

なんとも可愛いSS本当にありがとうございました!