| 特別なひと |
| 金属と金属のぶつかり合う激しい音と、様々な種類のエンジンの唸り。 整備士達の、それに負けぬ大音声が響く格納庫の中、そんな雑然とした空気を切り裂くように白衣姿の女性が颯爽と歩みを進めてゆく。 カツ、カツ、カツ、と、決してリズムを乱すことなく、目的地へ真っ直ぐ進んで行く―その何者にも左右されず、揺るぎの無い移動の仕方は彼女の性格を良く表しているかも知れない。 聞けば誰もが解かるその特徴的な足音に、携帯端末の画面を眺めていた男の目線が上がり、それと同時に足音も止まる。どうやら目的地に到着したらしい。 「カーク博士。…ゲシュペンストMk-Vの運用データをお持ちしましたわ。」 「ああ、すまないなマリー…」 その瞬間、白衣の女性の眉がキッと釣り上がり、周りの空気が不穏なものに変わっていく。 「…また、その呼び方を…そんな呼ばれ方をする理由はもうないとあれほど…」 全てを言い切る前にカークが両手を上げる。降参の意思表示だ。 「わかったわかった、ありがとう、マリオン博士。…これでいいかね。」 溜息と同じ所から出されたそのセリフだが、普段は余り見せない表情を浮かべている。 少し困ったような、それでいてどこか愉快なような、微妙な笑顔。 カークとマリオンは傍から見ればとても仲が悪そうに見えるのだが、その実仕事の上においては私事を持ち込まないクールな性格が幸いしてか案外いい関係を持って事に当たっている。 ヒュッケバインとゲシュペンスト。 基本コンセプトは違っても、同じ軍で運用するパーソナルトルーパーである。ある程度の情報交換は必須であるし、パイロットが乗り換える度にデータの書き換えが必要になる。その書き換え作業が最もスムーズに行くのが、この二人が作業に携わった時なのだ。 マリオンは持ってきたデータを手渡しながら、別の話題を切り出した。 「ところでカーク博士…話は変わりますけれど、最近のあの方、何とかなりませんの?」 「あの方?」 「ロバート博士ですわ。」 「ロバート?…ロブがどうかしたのか。」 その名がマリオンの口から出た事を少々意外に思いつつカークは続きを促す。 「もう…これだからあなたと言う人は。仕事上パートナーと言ってもいい人の事でしょうに。もう少し機械だけでなく人の事も気にかけて下さい、でないと…」 「わかった、わかったから…それで、ロブがどうしたのかね。」 降参の仕草をしながら、ロバートの事を少しは気に懸けていそうなカークの言葉にある程度は満足したのか、コホン、とひとつ間を置いてマリオンは続きを語る。 「それでよろしいのですわ。…ロバート博士、最近呆っとしている事が多いんですの。人の話を聞いているようで全然聞いていなかったり、書類を読んでいるようで全然見ていなかったり。…それも、一度や二度の事ではありませんわ。」 「?…なんだね、それは…」 「しかも、その状態が多発するのは決まった条件下である事がこの度判明しましたの。」 「条件?」 「ええ。」 「…何だね、その条件とは。」 マリオンはここで、「びしい!」と言う擬音がピッタリなほどにカークを指差し、きっぱりと宣言した。 「あなたがいる事、ですわ。」 「…はぁ?」 思わず、普段らしからぬ声と表情が出たからと言ってカークを責める事は出来まい。 そのカークの顔を見てマリオンはふふん、と得意気に笑い、優越感に浸った表情で自己のデータを披露する。 「正確には、『私とあなたが同じ空間に存在する時、更に同時に彼が同空間に存在し、何らかの行動を取った場合その結果に問題のある事が多い』と言う事ですわ。」 「…調べたのかね。」 「ええ。彼がおかしな事をしていた、もしくはおかしな内容のメモやレポートが作成された日付、時刻、場所を調べ、一番可能性の高い原因を突き止めた結果ですわ。…ともかく、ロバート博士がしゃんとしてくれないと私の仕事にも影響の出る部分が多いのですから、原因であるあなたにちゃんと解決して頂かないと困りますの。」 「………君も原因の一端を担っているのではないのかね。」 「私個人のみの存在する場所ではそういった行動は見受けられません。逆に、あなた個人のみが存在する場所においてでは、しばしば彼の奇行が確認されています。」 「…………」 どんな事にしても、気になったら最後まで原因を突き止めなくては気のすまない性質のマリオン博士である。その博士の調べてきた内容であるのだから信憑性はかなり高い。 しかし、カークには自分が原因である事に思い当たる節が全く無かった。 最近、彼と何か口論をしただろうか? ―いや、最近はロブが何を言ったら怒るか位の見当はついてきたので、思った事もあまり口に出さないように心がけている。 気まずくなるほどに疎遠にしていただろうか? ―それ程合う機会が減った訳でもない。むしろ、お互い調整している機体の情報交換で前より親しく付き合いがある位だ。 ――では、一体何が――? その時、たまたま通りすがりのロバートとカークの目が会った。 「「あ」」 一瞬、動きの止まる二人。 しばらくして、ぎこちなくロバートの右手が上がった。 「…や、やあ、カーク、マリオン博士も。作業は順調かい?」 平静を装っているようだがその笑顔は少し引きつっている。 「…ああ…問題ない。」 「そうか、それはよかった、それじゃ、俺も自分の仕事があるから…これで。」 くるりと踵を返してギクシャクと右手と右足を同時に出して歩き出し… ガンッッッ!!! 中途半端な位置に出ていた鉄骨に額をしたたかに打ち付けてしゃがみこんでしまった。 回りの作業員が心配そうに駆け寄って来ている。 その様子を少しも動く事が出来ぬまま、一部始終見てしまったカークにマリオンは静かに告げる。 「…私のデータは完璧ですわ。」 (……これじゃダメだよなぁ〜…) はあ、と、大きな溜息をついたのはロバートである。 ここは彼の自室。先ほどから司令部へ提出するレポートを纏めている所だが全く持って進まないらしい。 (…マリオン博士とカークは、前は夫婦だったけど今は違う、何の関係も無い…) 「って言うけどさ…」 どっこいしょ、と、少々おっさんくさい掛け声と同時に、少し離れた所にあった眼鏡用のクロスを取る為腕を伸ばす。 「…やっぱり態度、違うよな…他の人に対するのとは…」 眼鏡を拭きながらぼそりと呟く。 何が違う、と言われれば具体的に言うのは難しいのだが。 マリオンのいる時は彼の纏う空気が少し柔らかくなる気がするのだ。 冷静、冷徹、冷酷、冷血etc… 必ず頭に「冷」の付く言葉で表現されるような彼の性格であり、それを良く表わすかのごとく「彼の側に行くと気温が下がる思いがする」等と言う者は多数いる。それを緩和する事が出来るのは、やはり今でもカークにとって特別な人だと言う事になるのだろう。 …もっとも、ロバート自体は回りの言うほどカークの事を冷血漢だとは思っていないのだが。 (だからと言って…なんで俺がこんなにその事を気にしてるんだ…) はあぁ、と先程よりも大きな溜息を吐き、それと一緒に吐き出すように独り言を呟く。 「どうして…あの人には優しいのかなー……」 理由は先ほどから自分が考えている通りだと思う。 彼女は、彼にとって「特別」な人間なのだ。 しかし、何故自分がその事を妙に意識し、考え込んでしまっているのか、それがロバートにはわからないのだ。 その時、ロバートのすぐ後ろから声が聞こえた。 「…誰が誰に優しいと?」 「んー?君がマリオン博士に…………って……」 眼鏡をかけていなくてもわかる。その声、その、涼しい空気。 「カッ、カッ、カー…!?」 「インターホンは鳴らしたし、ノックもしたのだがな…ドアにカギが掛かっていなかったので勝手に入らせてもらった。」 カークを指差し、驚きのまま満足に声も出せないロバートを気にするでもなく、さらりとここにいる理由を説明する。 そして長い指を顎に当て、思案する風で呟きをこぼす。 「…そうか、やはり俺が原因だったか…。マリーの推察も馬鹿には出来ん。」 マリー、と言う単語にロバートの心臓が、どきりと鳴った。 理由までは解らないが。 そして、その言葉だけではカークがここにいる理由がわからず、思わず聞き返す。 「…え?」 「お前の様子がおかしい、と。マリオン博士に怒られた。」 それでしっかり解決してこいと言われたのだ、と続けるカークに、ロバートはどうしてもおかしな顔になる。 「……なんで、君が怒られるんだ?」 「お前が俺の事で悩んでいるからじゃないのか。 …何か最近、俺はお前を困らせるような事をしたかね?」 そう言われても困るのはロバートの方である。 何かしたかと聞かれても、カークは何もしていないのだから。 「いや!君は何もしていないぞ!!ただ俺が勝手に…と言うか…え〜っと、その…」 しどろもどろになりながら取りあえず何か喋ろうとは思うのだが、自分でも良くわからない事柄を説明できるはずもない。 カークはその様子からロバートの言う事をあてにするのは諦め、自分で考えを巡らせ始めた。 「…そう言えば、先ほど俺がマリオン博士に優しい…とか言っていたな。それが関係あるのか?」 「!!」 それを聞いて、ロバートの頬にさっと赤みが挿す。 「…そうか、それが原因なのか。」 「えええっ!?おっ、俺、まだ何も言ってないよ!?」 「お前は正直だからな、喋らなくても解る。そんなに俺はマリーに優しく見えるかね?」 「え?あ、ああ、そうだな、他の人に対するのと比べれば随分と…」 「例えば?」 具体的な例を聞かれてロバートは咄嗟に指折り数えだす。 間隙無く話し掛け、相手に考える隙を与えぬ見事な尋問である。 「えーっと、あれは、資料室だったっけ、マリオン博士が高い所の資料が届かなさそうにしてたのを黙って取ってあげたりとか、あと、ゲシュペンストのデータがバグッた時にこっそり取ってたバックアップ渡してたりとか…あ!そうだ、マリオン博士といる時は―…」 表情が、空気が、…優しい。 そんな事を思った瞬間、急にロバートの顔が音を立てそうな勢いで赤くなる。 それをどう解釈したか、顎に指を当てたままカークは「ふむ」と短く頷き口を開いた。 「俺は、お前に同じ事をした事は無かったか?」 「へっ?」 ロバートは自分の事を急速に思い出し始めた。 確かに、自分では届かない所にあった資料を取ってもらった事がある。―何が欲しい、と言った訳でもなかったので随分驚いたものだ。 そして、グルンガストのデータが機体のダメージの関係で消えた時も、効率のいい修復プログラムを組んでくれた事があった。―あれは多分、事件が起こってから、自分のために作ってもらった物だと思う。スケジュール的にギリギリだった為、とても感謝したのを覚えている。 …と、言う事は。 「何だ…彼女だけが特別と言う訳でもないんじゃないか!」 ぱあっ、と急に表情を明るくしてロバートが笑う。 どうしてそれだけの事で心が晴れると思っているのか、その気持ちがどういう意味を持っているのかなど、 そんな深い所まで全く考えていない彼を、カークは微妙な顔で見つめていた。 少し困ったような、それでいてどこか愉快なような、あの、微妙な笑顔。 ―しかし、今の表情には、マリオンにはあまり向けられる事の無い、慈しむような眼差しが加わっている事をカーク本人もまだ気付いてはいなかったりする。 「あれ、マリオン博士お一人っすか?カーク博士、この辺にいたと思うんですけど…」 相変わらず様々な音の飛び交う格納庫。 追い出したカークの代わりに現場監督として座っているのはマリオンである。 「カーク博士でしたら今ごろロバート博士の所だと思いますわ。 …システムチェックの事でしたら私が代わりに見てもよろしくってよ。」 「あ、そうっすか?…んじゃ、お願いします。」 チェックした個所を示すボードを渡しながら、気さくな整備士は待っている間マリオンにそう言えば、と話し掛ける。 「カーク博士とロバート博士って、かなり仲いいですよね。」 「…そうですわね。」 「カーク博士がどんなにピリピリしてても、ロバート博士が入ってくると急に空気があったかくなるんですよねー。」 本当に俺たち整備班には救世主みたいな人っすよー と、笑う整備士を見てマリオンは呟いた。 「知らぬは本人ばかりなり…ですわね。」 カークとロバートにとって、お互いがどれほど大きな存在になっているか、気付いていないのは本当に当事者の二人だけなのだ。 「何か言いました?」と聞き返してくる整備士に「別に」と返し、マリオンは一人笑顔を浮かべる。 今ごろ、自分よりも余程カークに優しく扱われているであろう、彼にとっての「特別」な青年のことを思って。 END |
| 蒼風水雲より8000HITでリク頂きました 「カークがマリオンにだけやたら優しいので、なんとなく面白くないロブ」 です。 …すみませんすみません。カークがマリオンだけに優しい、 というのがどーうしても思い浮かばず こんな話になっちゃいました… 「面白くないロブ」というのもクリアできてませんね… どうも、ウチのロブはマイナス方向に頭が行きにくい人みたいです。 そしてマリオン博士が動いてくれるまでにものすごーく時間が掛かってしまい… マリオン博士のキャラ掴むのに時間がかかったんでしょうねぇ。 あるときいきなりピキーンとひらめきまして、 書き出したら2日で仕上がりましたもんね…(^^;) …大変長らくお待たせを致しました上にこのようなもので申し訳ないのですが、 受け取っていただけましたら幸いでございます…(--;) これに懲りず、またよろしくお願い致しますm(_ _)m |